根尾昂伝説、その序章がスタート!

高校野球マネージャー NPB

1936年、7球団の発足によりその産声をあげた日本プロ野球。あまたのスター選手が出現し、人々はその活躍に熱狂してきました。

長嶋茂雄、王貞治、山本浩二、落合博満、野茂英雄、松井秀喜、イチロー。そして2018年、大谷翔平のメジャー移籍により、プロ野球はスーパースター不在の時代を迎えました。

そんな今、次代を担うスター選手として熱視線を集めている選手がいます。

2018年オフ、大阪桐蔭高等学校から4球団競合のすえに中日ドラゴンズが指名権を獲得した根尾昂(ねおあきら)選手。

ドラフト前には最大9球団の競合が噂されたスーパースター候補ですが、根尾人気はどうしてこれほどまで過熱したのでしょうか。

根尾選手が長年の夢を実現し、プロ入りを果たしたこの2018年は、その伝説がスタートした年として、これから長く語り継がれることでしょう。その根尾選手のこれまでの圧倒的な学生時代を振り返ってみたいと思います。

飛騨高山のスーパー中学生!

根尾昂選手は2000年4月9日、岐阜県飛騨市に誕生。里山の美しい原風景が広がり、建築や伝統工芸などの匠の技が息づく町に、医師である両親のもと、3人兄弟の末っ子として生まれました。

兄は岐阜大学の医大生で、姉は看護師というインテリ家族。そんな環境で、昂少年は飛騨市立河合小学校2年生の時に地元の野球チーム「古川西クラブ」に入団し、野球を始めます。

このチームでエース兼三塁手として活躍し、飛騨市立古川中学校に進む頃には、多くの甲子園出場選手を輩出する日本少年野球連盟岐阜県支部の中学硬式野球チーム「飛騨高山ボーイズ」に入団。投手と遊撃手を務めますが、中学3年生のときに最高球速146km/hをマークします。

この球速がどれくらいスゴいのかというと、中学時代のダルビッシュ有投手が最速144km/hと言われていることから見ても、規格外ということがわかるでしょう。

日本プロ野球で無双し、海を渡った現役最強投手の同年代を超える活躍を見せた昂少年の名前は、「スーパー中学生」として一躍球界に轟いたのでした。

大阪桐蔭・西谷監督が直々に口説く!

そんな根尾昂選手ですが、野球と並行して熱中していたスポーツがありました。スキーです。飛騨市は冬には多くの雪が降り、スキー場などのウインタースポーツ施設がたくさんあることでも有名な地域。

2歳から始めたというスキーはぐんぐん上達し、中学2年のときにはなんとスキー男子大回転で全国優勝しています。またイタリアで開催された国際大会にも出場するなど、スキー界でも将来を嘱望されるプレイヤーでした。

日本を代表するスキーヤーとして冬季五輪をめざす選択肢もあった昂少年でしたが、この中学2年でスキー選手としての将来ではなく、きっぱりと野球を選んだと言われています 。

また、昂少年には両親や兄、そして姉が進んだ医療関係の仕事に就くという選択肢もありました。野球とスキー選手というアスリートだけでなく、すでに頭脳明晰、成績抜群という頭の良さから医師という将来まで選択肢にあったという昂少年。

夢と希望にあふれたその将来を決定づけた人物がここで登場します。大阪桐蔭高等学校の社会科教諭であり、同校野球部監督を務める西谷浩一氏です。

西谷監督が根尾選手を知ったのは、根尾選手が中学2年生のとき。飛騨高山ボーイズと、大阪の中学硬式野球チーム「枚方ボーイズ」が対戦する試合を、親交のある野球関係者に視察を依頼したと言われています。

対戦相手の枚方ボーイズは、このときすでに7人のプロ野球選手を輩出していた名門。同学年には、大阪桐蔭でチームメイトとなる藤原選手、そして報徳学園に進むことになる小園選手も所属していました。

そうです、2018年のプロ野球ドラフト会議で、11球団の1位指名を独占したスーパー高校生3人が揃っていた試合だったのです。この試合は枚方ボーイズが勝利しましたが、根尾選手は投手として藤原選手、小園選手擁する枚方ボーイズ打線を1失点に抑えたといいます。

この視察結果を聞いた西谷監督は驚き、すぐに自分の目で根尾選手のプレーを見るべく、飛騨高山ボーイズの試合に駆けつけます。その試合、根尾選手はショートを守っていましたが、その守備、特に捕球後からの一塁への送球に「キューバ選手のような体の強さを感じた」と語り、惚れ込むことになります。

そうして始まった、西谷監督の飛騨高山行脚。飛騨高山ボーイズの監督と何度も会い、大阪桐蔭というチームの育成方針を熱心に説明したといいます。

そして根尾選手が中学3年になった6月頃、ついに西谷監督は根尾選手本人に、「日本一をめざして一緒にがんばろう」と、大阪桐蔭入学を勧誘します。しかし、同時にこうも付け加えました。「もし、医者をめざすなら、今日でお別れにしよう。大阪桐蔭の練習は厳しいから、医者になるための勉強時間はとれないと思う」。

ここで、根尾選手は自分の将来を決断することになります。「僕はプロ野球選手になりたいです」。この会話がなされたときこそ、大阪桐蔭の根尾が誕生した瞬間だったと言っていいでしょう。

甲子園春夏連覇から、プロ争奪戦まで

大阪桐蔭での根尾選手は、これまで数多くのプロ野球選手を輩出してきた同チームでも異色の存在となりました。

大阪桐蔭高等学校の体育・芸術コースに所属しますが、野球部員ではただひとり、成績最上位のクラスに属する文武両道ぶりを発揮します。

また、同校の野球部員はあの有名な、「過酷な寮生活」を送ることになります。なにせ外出禁止、スマホの所持も禁止。山の中に幽閉され、月に1回のコンビニ旅行でお菓子を買うのが唯一の楽しみといいます。

そんな野球漬けの生活の中で、決められた時間にのみ許される家族への電話時間があるとか。そこで根尾選手は「こんばんは根尾昂です!着替えをお願いします」と、家族に自分のフルネームを告げて面会時の要件だけを伝えて電話を切っていたそうです。

これは、限られた電話時間をチームメイトに有効に使ってもらうため、自分の通話はできる限り短く済ませようという気配りであり、そんなエピソードにも根尾選手の人となりが現れています。

この大阪桐蔭高校での活躍は、今さら語ることはないかもしれません。1年夏からベンチ入りし、2年の春からはレギュラーを奪取。中学時代から評価の高かった投手と遊撃手に加え、外野を守ることもありました。

甲子園には4季連続で出場し、そのうち3度で全国優勝。特に3年時には史上初、同校2度目の春夏連覇を成し遂げました。3年の夏の甲子園後は「第12回BFA・U18アジア選手権」に侍ジャパン代表として出場し、初戦の香港戦では5打数5安打5打点、サイクル安打を達成。また投手として出場した韓国戦では、自己最速となる149km/h、そして3位決定戦の中国戦ではすぐさまそれを更新する150km/hをマークしました。

そんな大活躍を見せた大会後、インタビュアーからの「今やりたいことはなんですか?」という質問に対して、「練習したいです」と答えた根尾選手。この大会でチームメイトとなった金足農業の吉田輝星選手は根尾選手に心酔し、質問責めにしたそうです。

根尾選手は栄養学やサプリメントの知識が豊富で、コンディショニングについてなど、一緒にお風呂に入りながら聞きまくったそうです。

プレーだけでなく、人間的な魅力にも満ち溢れた根尾選手。打者としては高校通算本塁打32本、甲子園での通算打率は.371。投手としては甲子園では7試合42イニングに登板し、防御率は1.93です。球速はMAX150km/hを記録しました。

大谷翔平選手以来の二刀流も期待された選手ですが、プロ球団は根尾選手のそうした野球の実力だけでなく、人間性を大きく評価したといいます。エリート街道を突き進み、しかし決して驕ることなく、常にもっと野球が上手くなりたいと願う選手。

そうした選手の加入は、チーム全体に大きな好影響をもたらすことでしょう。根尾選手をドラフト1位で指名したのは東京ヤクルトスワローズ、読売ジャイアンツ、北海道日本ハムファイターズ。そしてクジ引きで見事、交渉権を獲得したのは中日ドラゴンズでした。

奇しくも小学生の頃に中日ジュニアドラゴンズに所属していた根尾選手。岐阜県は中日ドラゴンズの地元でもあります。近年、ペナントレースでは下位に沈んでいるチームに、新たなリーダー候補として期待される根尾選手。中日という1球団だけでなく、日本の根尾選手と呼ばれるくらい、大きく成長してほしいですね!

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